デッサンとは、人間形成。感性を育てていくもの。

物腰が柔らかく、じっくりと考えながら穏やかにこう語るのは、NH一期生であるアートディレクターの加藤好郎さん。 優しい口調とは裏腹に、熱くしっかりとした視線の先には、自身の取り組みよりも、今後のアート界隈の次代を担っていくであろう若いひとたちの姿がそこにあった。

モッカカンパニ合同会社
CEO/アートディレクター

加藤好郎

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加藤好郎さんのプロフィール:

東京藝術大学ビジュアルデザイン専攻を卒業。株式会社電通 クリエーティブ局にてアートディレクターとして28年勤務。TOKYO 2 0 2 0 オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会に1年出向。トライデントデザイン専門学校 非常勤講師

東京芸術大学を卒業し、電通に入社。 デザイン学科で視覚デザインを専攻していたこともあり、大手食品会社、通信キャリアなど誰もが知る話題のキャンペーンに携わり、プロモーションの企画をしたり、パッケージやロゴなどを世に送り出したりしてきた。 とりわけ通信会社の業務は、競合他社との熾烈な技術競争、デザイン競争、価格競争、そしてサービス競争により、クライアントも予算を度外視した広告を次々と展開し、常に何かでバタバタしているという当時の典型的な電通マン。 しかしある時、突然耳が聞こえにくくなる原因不明の突発性難聴を発症。 その後もメニエール病の症状である、耳が詰まったような違和感に悩まされた時期もあった。 NHマンとなった現在は、ストレスを溜めないようにと、これまで自身の精神とカラダ、そしてなにより、多くの時間を捧げてきた忙しい業務からは少し離れ、家族の暮らす東京と、そして、親御さんの介護の必要もあって、実家のある名古屋との2拠点生活をスタートした。 そんな生活を送る中で、加藤さんは、ここ数年、地元名古屋で若い人たちに教えるという、育成の方に力を注いでいる。

【教えるということ】

実はこれまでにも、人にものを教えるということは、大学在籍中に美大向けの予備校生相手に3年間のアルバイト経験があった。ただ、この時は、自分の学校の勉強とも両立させないといけなかったにもかかわらず、バイトに熱を入れ過ぎてしまっていたため、本当はもっと勉強に専念すればよかった、、、と後悔している。 今回NHに参画し、進むべき方向性を探していた時に、「実務家教員」というものが耳にとまった。 実務家教員とは、文部科学省の定義によると、「専攻分野における概ね5年以上の実務の経験を有し、かつ高度な実務の能力を有する者」ということで、加藤さんの場合、美大生時代に学び培った知識、電通時代にクライアント業務で磨いてきたデザインスキルを、今度は自分が還元しようとなり、ある専門学校の非常勤講師として、1年半デッサンを教えた。 そして、非常勤講師として活動している、いまから2年ほど前のこと。 地元名古屋の美大に勤務する友人に話を聴きに行ったり、予備校を訪ねて行ったりして、次の教え先を探していたところ、昔よくアート関連の材料や道具を買いに行っていた懐かしの画材店の前をたまたま通りかかり、店の上の階にある美術教室の看板を見つけた。 そこは、『トヨタ画材店』という、名古屋市守山区にある、開業50年を迎えた街の老舗画材道具店。 久しぶりにふらっと入って話をきくと、毎日なにかしらのクラスが開催されており、ちょうど空いている曜日が。 話はとんとん拍子で進み、すぐにでも毎週金曜日の夜にクラスを持てることになった。 加藤さんが教えているのは「デッサン・平面、立体構成の実技」というクラス。 通ってくる生徒は、中学生から社会人まで層が広い。 美大進学を念頭に置いて通ってくる学生の中には、描きたくても描き方がわからないというひとが多く、義務教育の学校教育では、なかなかデッサンをきっちりと教えていないことが理由だそう。 予備校に通っても、中堅のところは大手と比べると時間的に足りないため、補講の意味合いで通ってくる。逆に、大手の予備校は、1クラスの人数が多く、ほとんどの生徒がほったらかされることが多いため、ここには先生を独占できるマンツーマンに近いレッスンを求めてやってくる。また、いざ美大に通っても実技のフォローのために通ってくる人もいる。 そういった意味では、幅広いニーズに答える、トヨタ画材店の美術教室の役割は大きい。 画材屋さんの2階のほのぼのした美術教室、と思いきや、きちんと目的意識を持って入ってきている学生がほとんどで、寸分を惜しんで黙々と描いているそう。 中には、毎回決まって質問をしてくるひともいれば、ひと言も発しないひともいるけれど、みな教えた通りにやろうと素直に取り組んでいる。 実はひとり、加藤さんのクラスのスタート当初から通う、少し気にかけている生徒さんがいる。 見た目はごく普通の高校生の男の子だが、結構な頻度で、突然、もう無理です!などと大声を出し、興奮して描くことを中断してしまうが、しばらくして落ち着くとまた元通り描き始めるという。 彼はこの春、高校を卒業だったが、おそらくもう来ないのではないかと思うと、これから先、社会で上手くやっていけるのだろうか、、、 とデッサンとは関係ないのだが、自分が見届けてあげられない分、とても気がかりだという。 加藤さんは、そんな一人の生徒の人生にまで気持ち的に関与してしまうほどの姿勢で向き合っているのだ。              写真:トヨタ画材店のデッサン教室の風景 

【デッサンとは】

かつて大学へ入るという目的のために学び、技術を磨いてきたデッサンは、自分の人生で何よりも一番力を入れてきたものだった。そのため、揺るぎない自信をもって教えられるという。 当時は、単純に目の前の物を上手に描くためだけに手を動かしてきたし、教える立場であっても、小手先の技術に特化していた。 しかし時が経って、どうもそうではないということに気が付いた。 デッサンは、「道(どう)」なのではなか、と。 日本古来の武道や書道、茶道などの、「〇道」と同じく、デッサンにも使用する道具があり、心構えがあるという。 デッサンに臨む姿勢や自分が使う絵を描く道具の準備や管理、扱い方、そして一連の所作。 加藤さんがそういったところまでも伝えようとしているのは、デッサンは、人間を形成していくものであり、対象物をただ単に上手く描くことよりも、じっくりと見ることで感性を養っていってもらいたい、と考えているからなのだ。 感性とは、気づき。 初心者がやりがちなのは、描く対象物を見て、それが見慣れたものだと自分の先入観でそう思い込んでしまっていること。見ているものは本当にその形をしてるかどうか、よく見ると実は違っているということもあるため、じっくりと見ることが大事になってくる。 そうして物をきちんと見ながら描いたプロセス、形の違いを見比べて、上手くなるに連れて、自分なりの描写プロセスに気づき、パターンができてくる。 同じことが、社会においても置き換えられ、何か問題が起きたとして、どこから解決していくかというプロセスに応用していけるという。 あるいはまた、絵は自分の意思で描くものだけれど、自分の思った通りに描けないこともあるかも知れない。人や物事が自分の思い通りにならなかった時にどうするか、というように人生に応用できる。対人関係で、自分にとって不都合なことがあると、どうにか相手を変えようとするが、相手は変えることはできないことを知り、まず自分が変われば、それを見た相手も変わっていく、という考え方を学んでいける。 描いている対象を違った角度や、また少し離れて俯瞰して見てみたり、その対象物だけでなく、それを取り囲む周りの状況までを含めて意識して見てみたりすることで、その対象物がよりくっきり鮮明に見えてくることがある。周りに助けてもらうことも大事ということだ。 そうやって試行錯誤してひとつのことをやり切った時、問題解決できた時、それは自分にとっての大きな自信になっていく。 そして仕上がった絵は、描いた本人の意思とは関係なく、描かれたものを見た人が何かを感じ、判断する。描く絵が変わっていくと本人の見られ方も変わっていく。この変化にも自信を持っていいという。 加藤さん自身も、これまでいろいろなことに影響を受けてきた。 フランスの画家であるロートレックもそのひとりだ。 何不自由ない家柄に生まれたが娼館に入り浸り、娼婦たちを描き続けたという彼の「僕は自分のデッサンで自由を買い取ったのだ。」という、これは今でも好きな言葉。 そして、思い返すと、大学時代、電通時代と、さまざまな経験をし、問題を解決してきた。 それらの経験があるからこそ、今度は自分がデッサンを通じて少しでも人生の向き合い方を教えられれば、と、現在若手を育成しようと日々奮闘している。最初に描けなかったひとが描けるようになってくることを目の当たりにする喜びは何物にも代えがたい、のだと。 ↓加藤さんが一番印象に残っているロートレックの『化粧する女』

↓予備校時代、加藤さんが大学入試直前に描いた石膏のデッサン(1987年)

藤井慎太郎