陶芸の町・茨城県笠間市で毎年ゴールデンウイークに開催される「笠間陶炎祭(ひまつり)」。200を超える出展者がそれぞれの器を展示即売します。今年(2025年)そのテントのひとつに、ニューホライズンメンバーのひとり、林虹伽さんの姿がありました。笠間焼最大規模のイベント・陶炎祭で、将来が期待される新人陶芸作家に出展のチャンスを与える「笠間のたまご」枠として、今年3人のうちの1人に選ばれたのです。
林虹伽さんのプロフィール:
オープンソースマーケター
マーケティング・アナリスト
インバウンド・中国市場マーケター
中国語翻訳・通訳・コピーライティング
人材育成・組織開発
戦略ミニマリスト
アート・陶芸
ダウンシフターズ
異文化コミュニケーション
中国出身元電通人
伝統的な陶芸の町・笠間のイベントに初出展
江戸時代から焼き物の町として発展してきた茨城県笠間市は、県境を挟んだ栃木県益子町とともに、現在なお続く伝統的な陶器の産地です。「笠間陶炎祭」は市内の「笠間芸術の森公園」で年1回開催され、地元を中心とした窯元やギャラリー、陶芸作家の仮設ブースが軒を連ねます。なだらかな丘陵地帯に広大な敷地を持つこの公園の中には、県内のみならず国内外の陶芸作品を展示する「茨城県陶芸美術館」や、陶造形作家の作品が森に点在する屋外展示エリア「陶の杜」があり、また隣接してユニークな陶芸専門大学院である「茨城県立笠間陶芸大学校」もある、一大アートパーク。周辺には大小多くの笠間焼ギャラリーが点在し、まさに「陶芸のメッカ」といっても過言ではありません。そんな笠間芸術の森公園に、遠方からも含め約8万人を集めて開催される「笠間陶炎祭」への出展は、これから陶芸アーティストを志す新人にとっての目標のひとつと言えるでしょう。
日本の大学院では、マーケティングが専門
中国出身の林さんが文部省(現・文部科学省)の国費留学生として大阪大学の大学院(博士課程)に入学した時、彼女の専門科目は陶芸とは無縁の「マーケティングサイエンス」でした。
「日本に来てから、日本の陶器に興味を持ったんです」。その後そのまま日本で就職した林さんの勤務先は、大学院時代に関係のできた電通。大学院での専攻を買われ、東京本社のマーケティング関連部署に配属になりました。仕事にもやりがいを感じつつ、一方で陶芸への興味は心の片隅にあり続けたといいます。電通で約16年、その間に社内結婚。その後上海に単身出向していたこともありました。東京勤務の夫と、中間地点の九州で会っていたという林さんのお気に入りのデートスポットは、嬉野温泉、だとか。
上海から東京へ帰任したのを機に、林さんは家の近くの陶芸教室に通い始めました。「何か趣味を持ちたいな、と思い、以前から関心のあった陶芸に思い当たりました」。さらに土曜日には「神奈川県横浜陶芸センター」に出かけ、一日中作品作りに没頭。
「土をいじっていると、気持ちが落ち着きます。『土に癒される』…そんな気分です」。
「趣味」を超えた林さんの熱意
とはいえ、仕事も相変わらず忙しい中での陶芸は、趣味の域を超えないものでした。そんな林さんの意識を変えるきっかけとなったのが「ニューホライズンコレクティブ」への募集です。ライフシフトを志す社員が会社を早期退職したのち、ライフシフトプラットフォーム(LSP)でミドルシニアの新しい出番をつくる新会社「ニューホライズンコレクティブ合同会社(NH)」のメンバーとなり、本人の裁量で仕事をしながら、ネクストキャリアへの準備をする、というもの。当時の林さんにとっては願ってもないプログラムでした。
「その頃はすでに、会社を辞めて学校に通い、本格的に陶芸の勉強をしたい、という気持ちがありましたから、迷うことなく応募しました」。
林さんは同時に、笠間陶芸大学校受験の準備を始めます。時はまさにコロナ禍の真っただ中。「地方にもう一つ拠点を持つのも悪くない、という気持ちもありましたね。主人も応援してくれました」。電通を退職、2021年1月からNHメンバーとなることを機に、その年から笠間陶芸大学校に通おうと受験していましたが、結果は不合格。
「定員たった12人の狭き門なのですが、残念でした。それでもこの学校で何か学びたいと思い、同じ大学校の『専門研修』という短期講習に通いました」。釉薬(ゆうやく=陶磁器の表面に塗るうわぐすり)のコースで勉強する林さんの熱意に、大学校の先生から「もう一度受験しないか」と声がかかりました。「陶芸大学校のことは諦めかけていたんです。励みになりました」。そして2回目の受験。今度は見事合格し、2年間の学生生活が笠間で始まったのは2022年のことでした。
自分から新たな可能性を引き出してくれた
陶器の町・笠間で、大学校の卒業制作に磁器を選んだ林さん。しかしそれも笠間焼なんだ、と林さんは言います。
「笠間の人に笠間焼とは?と聞いても、明確な定義はないと言われます。笠間で作ったものは、全て笠間焼、とか(笑)。しいて言えば、特徴のないのが特徴ですかね」。
江戸時代の黎明期から「使うための器」であり続けた笠間焼は、美術館で展示される芸術作品から、千円以下の日用品まで、今も幅広いものが生まれています。食器や花瓶はもちろん、人形や立体アートに近いものもあり、陶器あり、磁器あり。笠間焼には、林さんの磁器への想いを受け止める度量の広さがありました。
笠間陶芸大学校の卒業後まもない林さんに、地元のギャラリーから声がかかります。「回廊ギャラリー門」は笠間を代表するギャラリーの一つ。このギャラリーの方から、他の新進気鋭の作家とともに三人展をやらないか、と持ちかけられました。
「私のような新人が、このギャラリーから声をかけていただくのは、とても光栄なことなんです」林さんは目を輝かせて当時の気持ちを語ってくれました。
2025年は2月にこの三人展、5月には陶炎祭と矢継ぎ早に作品展示の場を得た林さんは、さらに翌年6月に個展を開くべく、次の作品作りを進めていこうと考えています。
陶芸作家として一歩踏み出した林さんですが、本人からすれば「一歩どころか、やっと靴を履き終わったところ、ぐらいでしょうか」。陶芸は一昔前の言葉で言うなら、まさに「3K」。ほこりと粉塵まみれの不健康な職場で、力仕事も付いてまわるし、それでいてお金が入るかどうか、暮らしていけるかどうかの保証はない。それでも、出来上がった時の満足感や、達成感、喜び大きさには代えられない、と彼女は話します。
「だからこそ、NHはありがたい存在。仕事を最低限続けて、生活の糧としての収入を得ながら、自分の学びにしっかり時間を割くことができました」。
目標は本格的な陶芸作家として生計も立てていくことですが、その準備段階としてNHの存在は大きい、と語る林さん。
「中国茶・台湾茶の茶器作りを極めたい。それが私の目標です。日本で中国茶器を求めるお客さんはまだまだ少ないので、今は売れるものを作りつつ茶器作りを続けていき、ゆくゆくは茶器に専念できたら、とも思っています」。
これまで20年以上日本で過ごしてきて、今、故郷の中国の茶文化に想いが回帰する。林虹伽さんの「ライフシフト」は、故郷を想いながらも後戻りはせず、更なる前進を目指しギアチェンジしていく「シフトアップ」に見えました。