「私は“タイミング信者”なんです」と語り始めた山口千秋さんは、人生における様々な選択を、折々に出会う運命的な偶然を大切にして行ってきたという。その原点が学生時代に留学したアメリカ・サンディエゴの大学の授業だった。当時山口さんはたまたま大学の教授のアシスタントとして、アメリカ人学生に日本語を教える授業に携わっていた。日本語を熱心に習得しようとする学生たちとの交流が新鮮で刺激的であり、以来「教える楽しさ」として彼女の心の奥に根を下ろす。そして40年以上の時を経た今、その思いが確かな志となって実を結ぶこととなる。
2020年に電通を退職後、ニューホライズンコレクティブ(NH)が実践するライフシフトプラットフォーム(LSP)へ参画。2023年にはLSPも卒業し現在、日本語教師として教壇に立つ。長年胸の奥にあった夢を現実に変えたライフシフトの道のりで、山口さんが何を見て、何を感じていたのか。じっくりとお話を伺った。
タイミング信者であること
山口さんが電通に入社したのは1986年。四大卒女性採用の第一期生だった。
「たまたま学生時代に留学して就職が一年遅れたことで、この会社に入れたんですよ。ラッキーでした」
と笑顔で振り返る。ここでも“タイミング”の不思議な引き合わせを感じたという。
その後キャリアの大半をマーケティング部門で過ごし、2018年に広報に異動。激動の現場で日々奮闘する中で、転機はNH・LSPの立ち上げの母体となる労働環境改革室も兼務することとなった時に訪れた。
「ある日のこと、広報の局長室でNHという新しいプロジェクトが始まるという話を聞いたんです。もう、その日のうちに参加を決めて、次の日に“私、行きます”と上司に宣言しました(笑)」
定年も視野に入り始めたころ、ちょうど次のステージに移りたいと考えていた矢先の情報だった。
「このタイミングに乗るしかない」
と直感したという。
そしてすでにその時、頭の中にあったのは学生時代から抱き続けた夢、日本語教師になることだった。かつて大学の教室でアメリカ人の生徒たちと日本語をやり取りした、わくわくするような時間の記憶が彼女の中に蘇っていたのである。
日本語教師へ向けて始動
電通を退職、NHでの活動と並行しながら、山口さんは日本語教師の資格取得を目指して本格的に動き始める。
「2021年の4月から日本語教師養成講座(420時間コース)に通い始めました。それと日本語教育能力検定試験に合格することも必要でした。日本人の私たちはさして苦労せずに日本語は教えられるのではと思うのですけど、結構勉強が大変なんです。日本語教育の歴史、音声学のような周辺知識。模擬授業、教育実習…」
広範で専門的な知識を学ぶことに苦闘しながらも当時の状況を、
「面白かった」
と朗らかに語る。そして2022年の夏、晴れて講座の修了証書を取得、検定試験も見事パスすることができた。
が、実際に教師になるためにはまたここから就職活動を始めなくてはならなかった。
「いろいろな学校に職務経歴書、履歴書を送りました。面接も受けたし、模擬授業もさせられましたね。不採用もいっぱいありました。でもなんとかその年の10月にそのうちの一つから声がかかったんです」
無事採用試験に合格、週2回の授業を受け持つことになった。
ここにおいて山口さんは、ついに長年の夢だった日本語教師としてスタートを切ることができたのである。
それから3年の時を経た2025年6月現在、山口さんは二つの日本語学校に所属し週五日、教師として働いている。
「一つは午前中の授業が主体。もう一つは午後ですね。あとはプライベートレッスンを受け持ったり、テストの採点をしたり…フルタイムではなく半日ずつお仕事をする感じです。自分のペースを守って作業ができるのでいいですね。唯一困っているのは毎回授業に持っていく教科書やPCなどの荷物が重くて腰を痛めそうになることです(笑)」
生徒にはどのような人がいるのか聞いてみると、
「本当に様々な方がいます。まずは留学生として日本に来る学生さん。ビジネスマンや主夫や主婦。米軍基地の方、宣教師、国際線のパイロット、CA…これまで35か国、14歳から74歳までの生徒さんを受け持ちました。独自の方式でのプライベートレッスンを希望する生徒さんや、わざわざ長い休暇を取って日本語を習いに来たりする人もいるんですよ。みなさん実に熱心です」
と楽しそうに話す。そしてその多様な背景を持つ彼らの成長を見ることが何よりのやりがいだという。
「先月できなかったことが今月はできるようになる。それを目の当たりにできるのが本当に嬉しいですね」
NH・LSPで得た仲間
最初の学校に採用されてから約1年間、山口さんはNHの仕事と日本語教師の二足の草鞋を続けた。が、二つ目の学校が決まりNHと教師の業務の両立が難しいと感じ始めた2023年末、彼女はNH・LSPを卒業した。
だが抱き続けた夢の後押しをしてくれたのは、同様に次の人生へのチャレンジ精神を持つNHの仲間の存在、そこから得られる刺激や励ましだったという。
「もしここに参加していなければ、日本語教師はやってみたいと思うだけで終わっていたかもしれません」
と振り返る。
次の目標は昨年から国家資格となった登録日本語教師資格を取得することだ。
「すでに教師を始めている人にはその人のための講習があるのですけれど、今年はこれを受講します。今はまだ移行期間ですが、今後は学校がその資格を取ることを条件とするようになってくるはずなのです」
今、日本語教育は変革期を迎えている。「何を教えたか」ではなく「何ができるようになったか」を判断基準に評価する「キャンドゥー(Can-Do)」方式の教育が取り入れられ始めており、国家資格化もその流れの中にあるそうだ。
「現場でこういった改革を肌で感じられるのも、面白いですね」
生徒たちに気づかされること
学生と日々会話を交わす中で、山口さんは様々なことに気づかされると話す。
「日本に住んでいる自分にとって当たり前だと思っていることが、そうではないことがわかるのです。“私の国には戦争があって、家にはシェルターがあります”という人がいたり、“偏見を持つ人がいるかもしれないので国籍は言いたくありません”という人もいたり。コンビニで働く外国人が多いことは皆さんお気づきだと思いますが、あそこで働く人たちはかなり会話ができる選ばれた人たちなんです。その前に配送センターや精肉工場で私たちが直接目にすることのないアルバイトをやっているのですよね。私たちの毎日の生活はそんな彼らにずいぶんと支えられているんだなあと思うのです」
また、日本語についての難しさ、奥深さを逆に教えられることもあるという。
「例えばですけど、“横浜にスタジアムがあります”は正しい日本語ですよね。でも“横浜でスタジアムがあります”は変でしょう?“に”と“で”の違いだけなのですけど、彼らからすると“なぜ?”となるのです。ネイティブの日本人は考えたことすらないですよね(笑)」
生徒の一つ一つの言葉をかみしめるように、山口さんは言葉を紡ぐ。
一通の宝物
戦争や偏見・差別、外国人の厳しい労働環境、そして普段何気なく使っている我々の母国語の難解さ。山口さんは相対する生徒たちの日々の声に耳を傾けながら、今教師を続けている。
インタビューを通して印象に残ったのは、山口さんが終始明るく、朗らかに語り続けてくれたことだった。それは何よりも長い月日を経て見事にたどり着いた「現在」に対する充実感であり、明日への希望の証であるように思えた。
最後に山口さんが大切に保管している一通の生徒からの手紙を紹介しよう。
自分の想いを信じて歩み続けたこれまでへの素敵な成果だ。
「やらないで後悔するより、やってみて後悔したいですね」
山口さんの穏やかながら沁みこむような言葉が、今も心に残る。 (了)