キャリアを丸ごと詰め込んで地域活性化のただ中に。福本浩一さんが線を描く、町と人生の見取り図。

地域活性化起業人とは、三大都市圏所在の企業から地方自治体へ人材を派遣し、その専門的な知見をもって地域課題を解決しようとする政府主導の取組だ。ライフシフトプラットフォーム(LSP)メンバーの福本浩一さんは、今年埼玉県ときがわ町の公募に見事採択され、その活動を始めている。そもそも地域活性化起業人はどのような職務を行うものなのだろうか。福本さんのお話からその現在と、そこに至るまでの自身のキャリアについて伺うことができた。

合同会社ブライトビジョン
事業開発コンサルタント、経営企画コンサルタント

福本浩一

福本浩一さんのプロフィール:
【経歴】①電通に34年勤務。マーケティングサービス業務を国内外で実施。特に海外は10年間で3か国(シンガポール、インドネシア、インド)に駐在し、現地ネットワークも豊富。②2021年1月に個人企業を開設。顧客企業の新規事業開発支援や海外事業展開支援を主に行っている。【現在の業務領域】①リソースの少ない企業様向けの各種企画サービス コミュニケーション企画、事業企画、経営企画など「企画」と名の付くものであれば何でも、情報収集から戦略策定、企画立案まで一気通貫でのサービス提供が可能。初めての方にもわかりやすく、をモットーとしています。②海外事業展開支援 15年間の海外事業・海外駐在経験を生かして、輸出・海外進出(拠点設立)・越境EC・販路開拓などの計画策定から実施までの支援が可能。

今そこにある課題

「地方によって課題は様々なのですが、今地域活性化起業人を募集している自治体のうち約半数はDX系の課題を抱え、残りの半分が観光やふるさと納税系のノウハウを持つ人材を欲しているようです。このあたりのことであれば、自分もこれまでのキャリアを生かせるのではではないかと考えました」 と、地方の現状と、応募のきっかけにについて福本さんは語り始めた。 「で、僕が出向しているときがわ町では何をしているのかというと、今10か所ほどある町有観光施設――例えば、埼玉県の名産である小麦や地域伝統の製法を使ったうどん屋、自然環境資源を生かしたキャンプ場、農産物直売所のようなものですね。その事業の活性化や経営改善、あるいは事業継続のお手伝いをしています」 どの地方も抱える問題ではあるがこれらの施設は運営者の高齢化が進み、次の担い手がいない。いたとしても経営にあまり詳しくない人たちであり、地域振興の街全体の課題として浮き上がっているそうである。そこに福本さんの出番があるわけだ。 具体的にはどのようなアドバイスをするのだろう。 「もともと中小企業診断士という資格も持っていたのでその手法を使い、例えば3年間という期限を切っての事業改善を実現させるロードマップを作る。または電通時代に培ったマーケティングの知見で観光客誘致企画を立案する。商品のメニュー開発もするし、あとは単純に商品の価格が安すぎるので少し値上げをしましょう、と提言したり」 いわゆるマーケティング理論でいうところの4P/Product(製品)・Price(価格)・Promotion(プロモーション)・Place(流通)戦略の実践を行っているそうだ。 「各施設についてはだいたい月1回くらい委員会のようなミーティングがあって、そこで出席者の皆さんにアドバイスするんです。メンバーはだいたい7,8人ほど。それと役場のプロパーの方も出席するような場になります」 会ではそれぞれの課題について、毎回白熱した議論が展開されるそうだ。 またときがわ町全体としての観光振興施策も行っているそうで、 「町としての新しい観光商品の開発ですね。自然が本当に素晴らしいところなので、登山・ハイキングを起点とした観光商品を協力会社を巻き込んで企画してみたり。季節の花々のシーズンに合わせたイベントを企画してみたり。あと、ときがわ町は20代30代の若い人たちが主体となった“地域おこし協力隊”のメンバーも募集しているのですが、どういう人たちを採用し、どういう事をやってもらうかなども役場の方と一緒に考えたりしています。彼らのSNS発信ノウハウを町に取り入れたいという考えがあるのですよ。なかなか現地ではそういったことを取り扱える人が少ないので」 と多岐にわたる業務について、福の神のような穏やかな笑顔をたたえつつ福本さんは語ってくれるのだ。 (以下写真:町役場での打合せ。右手前が福本さん)

積み重ねた経歴

福本さんは1987年電通に入社。自身の出自の本籍地は「メディア担当営業」であると語るが、2021年に独立するまで様々な経歴を積んできた。マーケティング局在籍2年、某外資系タバコ会社、飲料メーカーの担当営業として約10年、その後メディアマーケティング局設立メンバーとして寄与、さらにアメリカのマサチューセッツ工科大学(MIT)に留学を経て、以後は自ら希望を出しシンガポール、インドネシア、インドなどへ海外赴任することになる。そこでは東南アジア13か国のメディアセントラルバイイングに携わったり、現地での番組企画制作にも中心的役割で参加した。ちなみに2012年から赴任したインドでは、電通100%出資の完全子会社設立や現地でのM&A、および業務を軌道に乗せるための下地作りをする、いわゆる経営企画としての仕事にも就いていた。 「10年ほどの海外活動を終え日本に帰ってきた後は、ISID(現・電通総研)に出向してシステムインテグレーター系の作業もしました」 という。マーケ、営業、メディア、海外赴任、M&A、経営企画、システムインテグレーター、、、。淀みなく語られる経歴の多彩さに圧倒されるのだ。 ただそんな福本さんであったものの、55歳になったころ現状の自分が相対している仕事に少し物足りなさを感じるようになったという。 「年齢ともに、少しずつ向き合う仕事の性質が変わってきて、これが本当に自分がやりたかった仕事なのだろうかと考えるようになったんです」 実際に転職についてもこのころ考え始め、数社ほど話も聞いたという(結果的に転職はしなかったが)。 ――――やりたかった仕事とは何か、わかったのですか? と問うてみると、すらりと答えが返ってきた。 「これまでのキャリアを生かして、日本の中小企業を支援していくことをしたくなったのです」 そしてその言葉通り難関である中小企業診断士の資格を取得。セカンドキャリアに向けての備えとしていたところ、たまたま2020年にLSPの制度を聞き、すぐに参画を決意したという。地域活性化起業人の向き合う先は、中小企業ではなく地方自治体であるが、内在する課題や望まれている知見はまさに同等のものであったのだ。 (以下写真:典型的なときがわ町の風景。町の面積の70%は山林)

仕事のゴール

広告会社出身の多様な知見と、中小企業診断士という国家資格を携え順調に自分の目標に向かって動き始めた氏であるが、地域活性化起業人として今得ている仕事の実感はどんなものだろう。 「キャリアで培ったノウハウはやはり自分の大きな武器となっています。ただ環境の違う職場で働いてきた者同士が作業する時、大切なのは互いの仕事の仕方に違いがある、ということを理解することです。僕にとってはごく日常的にやってきた仕事のやり方に、戸惑いを持たれることもある。提案に向けてのスケジュールの設定の考え方も違っているし、例えば広告業界ではごく普通の議論の手法であるブレーンストーミングを導入しようとした時も、役場のみなさんにとっては新鮮な驚きだったようです。なぜこの手法が有効なのか、そういったことひとつひとつを丁寧に紐解いていくことが大切ですね」 さらに続ける。 「僕の作業は、皆さんに何をすべきかを理解していただくことがゴールではなく、それを“やっていただくこと”がゴールだと思っているんです。なのでそのための会話をとても大切に思っています」 最終的には人と人とのコミュニケーションが重要だと語る福本さんの言葉に、力が入る。 (以下写真:くぬぎむら体験交流館のうどんレストランスタッフと)

今後の人生設計

今福本さんは月の半分、拠点をときがわ町に置き、さいたま市内の自宅と往復している。さいたま市内ではすでにある公共団体から委託を受けて、民間の中小企業数社のアドバイザリーとしても活動しているという(つまり当初の目的もすでに達成しているのだ)。 多忙な毎日を送る中、どの仕事においても最大のモチベーションは、 「向き合っている人たちに感謝される、喜んでもらうこと」 と話す氏。 今後の人生設計についてどのように考えているか水を向けると、意外な答えが返ってきた。 「65歳になったら引退します。なぜかって、歳を取って若い人たちのポジションを取るようなことにはなりたくないんです。まあ、それまでに人とのつながりはもっと増やしたいと思っていますし、誰かに頼まれればまた仕事をすることもあるかも、とは思いますけれど(笑)」 積み重ねたキャリアを総動員して今目まぐるしく動き回る福本さんの現在は、65という年齢までのモラトリアムだというのだ。独特の人生観だと感じ入ったが、筆者は思う。こういう稀有な人材はいやいやどうして、早々の引退などさせてもらえないのではないだろうか、と。  (了) (以下写真:町有観光施設「堂平天文台」にて)

ライター黒岩秀行