2023.06.21

投資家、起業家、研究者をつなぐエコシステムとは?バイオベンチャー界をまるごと「出版する」という広報戦略。

いま筆者の手元に、上梓前のある書籍の校正紙がある。タイトルは『バイオベンチャーがこれから成長するために必要な8つの話』。バイオベンチャーキャピタリストの栗原哲也氏の著で、氏の長年の知見からこの分野に投資したい人、起業したい人、研究者などに向けてビジネスの根幹や成立ちをわかりやすく記した今までにない解説本だ。 たとえば新型コロナウィルスのワクチン開発で今や世界中に知らない人はいなくなったモデルナ社も、いわゆるバイオベンチャーである。ファイザー社のワクチンももともとはビオンテック社というベンチャーが開発したもので、ファイザーはその臨床試験や製造販売を担うという形で世界の罹患者の増加を防いだ。私たちはその企業名とワクチンの効能については耳にしているが、実際どのような形で研究、開発、審査、承認が行われ我々に届くのか、知っている人は多くはないであろう。本はそこに至るまでの膨大なステップ、投下される資金、ベンチャー起業の仕組み、製薬会社、ファンドの役割などをきわめて平易な言葉で解説している。 今回ニューホライズンコレクティブ(NH)のメンバー・赤木洋さんが、この本の出版プロデュースに携わった。これまで広告業界で生きてきて、バイオの世界は全くの門外漢だったという赤木さんがこのような内容の出版にどう関わったのだろう。 そこに込められた思いは何だったのか、「解説」いただいた。

赤木洋事務所/株式会社ポーズコレクション

赤木洋

赤木洋さんのプロフィール:

1971年生まれ。東京藝術大学美術学部芸術学科卒業。東京大学学際情報学府修士課程終了。毎日広告デザイン賞最高賞受賞、グッドデザイン賞など受賞多数。#CMプランナー#コピーライター#クリエーティブディレクター#戦略プランナー#戦略コンサルタント

創薬の世界を紐解く

「もともとは栗原さんの所属するバイオベンチャー専門の投資会社・新生キャピタルパートナーズ(株)の社長さんと僕が知り合いだったんです。ある時その方から、会社が行っている業務の説明を改めて外部に向けて発信したいのだ、と相談をいただいたのです。そうすることで、より多くの人々にバイオベンチャーを理解してもらい、また新薬開発中の研究者にもどうすれば成果を世の中に送り出せるかをわかってもらえると思うのだ、と。」 つまり会社の広報戦略の策定を依頼されたところから始まった、と赤木さんは語る。 「全く知識がないところからだったので、まずは業界や業務の内容を何時間もかけてみっちり講義をいただき、僕が質問責めにすることから始めました(笑)」 その結果、バイオベンチャー界で繰り広げられるユニークであるが非常に複雑なエコシステムを説明するには瞬発的な広告手法では難しい。書籍として出版しステークホルダーにじっくり紐解いていくことが、まずは必要だと提案をしたという。 「それならうちの会社に文章を書ける業界の専門家がいる、ということで紹介されたのが栗原さんでした」 基礎研究から承認まで何層もの厳しい試験・審査をくぐり抜け、およそ9年から16年という膨大な期間をかけてようやく世に届けられる創薬の世界においては、どれだけ優秀な研究者が革新的な技術を開発したとしても単独で事業を起こすことは不可能。そこにはベンチャーキャピタルの資金面で支援と、製薬会社とのコラボレーションが不可欠だ。この世界の独特のエコシステムをつまびらかにするのに、最適の解説者として栗原さんが登場する。 「栗原さんともう一人、これも僕が知り合いだったフリーの編集者の方にも入ってもらい3人体制でいよいよ執筆作業を始めました」

3万分の1の世界

バイオベンチャーキャピタリストとして現在活動する栗原さんは、もともとは東京大学農学部で「腸内細菌による消化管の免疫機構への影響」といった研究をされていた。その後転身し証券会社に入社、製薬業界のM&Aや海外の製薬会社でCVC投資※やベンチャーのインキュベーションに携わり現在に至っている。 「薬って、、、ほとんどは完成しないんですよ」 インタビューに応じていただいた栗原さんは、誠実な面差しに柔和な笑みをたたえながら、もともと研究者であった方らしく正確に言葉を一つ一つ選びながら語り始めた。 「よく我々の世界で3万分の1っていうんですけれども、薬の候補があってその中から承認されるものっていうのはそんな確率なのです。なおかつ薬を作り始めてから薬になるまで10年、15年かかる。製薬会社に勤めていても自分のプロジェクトが最後のカタチまで行くことってめったにないのですよ」 研究者からバイオベンチャーキャピタリストに転身した最大の理由と醍醐味は、ベンチャーに「伴走」しながら支援をすることでそういった関門をくぐり抜け実際の新薬開発成功の出口に立ちえること。そしてそういった会社の成長を直に感じられることだという。 そんな思いをもとに始めた執筆作業だったが、実際どんなものだったのだろう。 「社長は僕が書けると言ったそうですが、これまでは時々専門誌に2,3ページの寄稿を頼まれたことがあったくらいなのです。それを書くだけでも大変で。それを300ページとか、いったい何を何から書いていいのか全くわかりませんでした(笑)」 と思いもよらぬ言葉が返ってきた。そして今回そこに「伴走」してくれたのが赤木さんであったと振り返るのである。 ※CVC投資:Corporate Venture Capital投資の略。事業会社が自社の事業に関連性のある会社に投資するもの。自己資金でファンドを組成し、本業への相乗効果を狙う。

一般人の視点で

むずかしいことを、わかりやすく。赤木さんと栗原さんの二人三脚の執筆は、主にこの作業にフォーカスしていたと言っていいかもしれない。バイオの世界はITと同じベンチャーであっても一般の人にあまり知られていない、より複雑で専門的な分野。これを広報視点でどのように読者にわかりやすく理解させるのかに力が注がれた。 「例えば文章が長いのを半分に切ってもらったり、業界の略語が出てくるのでそれをいちいち解説してもらったり。そんな単純なことからです。一番説明が難しかったのはバイオの世界のエコシステムそのものなのですが、だったらわかりやすく図解できないか、とか。いきなり書籍としてあげるのはハードルが高いから、少しずつSNSの‘note’に書き溜めていきましょうといったこともフリー編集者の平山さんとも相談しながら作戦を練りました(赤木)」 「noteに2週間に3,4本記事を書くのですけれど、著者として一番大変だったのはネタとして次に何を書いたらいいのか全く思いつかないということでした。14日あるうちの12日目に1文字もかけていないこともあって。。。でも困って赤木さんに電話するといつもうまく私の経験からテーマを引き出してくれるのです。そんな風にアドバイスをもらいながら進められたのが本当に助かりました(栗原)」 どうしてもプロの知見から通常のこととして発出してしまう専門的思考を、一般人に理解できるよう上手にひらいていく。それが時には言語間での変換だったり、図としての注釈だったり、発信方法の提案だったり。。。そして読者としての興味の視点でチーム内の会話の中からテーマを導き出していく。 そんなやりとりを執筆の佳境においては毎日のように行い、約5か月。最初は真っ赤だった校正紙は次第にきれいに整理されてくようになった。 【以下写真:本の著者の栗原哲也さん(左)とプロデュースを行った赤木洋さん(右)】

孵化

そして2023年6月。いよいよPHPエディターズグループから『バイオベンチャーがこれから成長するために必要な8つの話』が上梓される(ちなみに赤木さんはこのタイトルを決めるまで200案を候補として出したそうである)。濃密な執筆作業を経て書き上げられたテキストは、改めて鮮やかな章立てに編集しなおされ書籍となった。 電通在籍時、ほとんどのセクションを経験し広告人としてのノウハウを体得しきっている赤木さん。今回の作業を通して感じたことを伺うと、 「バイオの世界は全く知らなかったので一から勉強でした。ただ広告をやっていたので人に対して何をどう伝えたらいいかっていうことは、わかるじゃないですか。栗原さんとのそのやり取りが刺激的でした。あと面白かったのは出版をしようというアイデアが実現できたことそのものですよね。なかなか大きな会社にいるとそういった提案はできないので」 広告とバイオ。全く交わることのないようなこの2つの世界の専門家が協働したのち、今共通の意識として存在しているのは「研究者を応援したい」「バイオの世界の存在価値を伝えたい」「バイオベンチャーの起業を応援したい」「バイオに限らずベンチャーを目指す様々な人々に本を読んでもらいたい」といった思いだ。 もともとは広報活動しての執筆。ただその起点を超えて今、二人の中で新しいインキュベ―ション(孵化)が生じているのだという予感を筆者は持つ。この胎動はきっと誰かの心を動かし、何かを結び付けていくはずのものだ。 インタビュー時、ちょうど届けられたという書籍初版を栗原さんがオンラインの画面越しに披露してくれた。手にした感想を聞くと、 「ほんとに本になるんだなあ。。。」 愛でるようにつぶやいたその言葉が、まるで温かな祈りのように聞こえた。 ※本に関する詳細はこちら

ライター黒岩秀行