このプロジェクトについて記事にすることを決めた時、まず何から語るべきなのか筆者は悩んでいた。農林水産省の主導する日本の食における意識変革推進運動。規模があまりに大きくコンセプトが甚大で、それぞれの人によってイメージや理解する内容、参与可能な範囲というものが異なってくると思えたからだ。でもまずはその意義を規定するものとして、ニッポンフードシフトのホームページに掲げられたこの一文から引用させていただきたい。
「食」は人を育み、生きる力を与え、そして社会を動かす原動力となるもの。いうまでもなくすべての人は「食」と無関係で生きることはできません。日本社会が大きな変化に直面している今、これからの「食」はどうあるべきか。食料自給率、環境との調和、新しい生活様式、健康への配慮、食育、サプライチェーンの状況など、私たちが真摯に向き合わなければならないテーマは少なくありません。
「食」について考えることは、これからの社会を考えること、人の生き方を考えること。今こそ、変えるべきは変え、守るべきは守り、新しい挑戦を応援しながら、この時代にふさわしい日本の「食」のあり方を考える機会ではないでしょうか。
消費者、生産者、食品関連事業者、日本の「食」を支えるあらゆる人々と行政が一体となって、考え、議論し、行動する国民運動「ニッポンフードシフト」始まります。
活動を「国民運動」と自ら規定するプロジェクトはどのように発生し、今何が行われているのか。
その仕掛人の一人として活躍を続けているニューホライズンコレクティブ(NH)のメンバー、石原夏子さんに話を伺った。
クリエーティブディレクター、コミュニケーションディレクター
石原夏子
石原夏子さんのプロフィール:
人の「好き」の気持ちを活かしたコミュニケーション設計と企画を行うクリエーティブディレクター・コミュニケーションディレクター。デジタル・SNS、音楽・お笑い・食などのコンテンツの掛け算が得意です。著書に「偏愛ストラテジー」(実業之日本社 2018年)。
関心のない若者へ
「私がプロジェクトに参加したのは活動2年目の令和4年度からでした。1年目はこの運動の大きな座組作りに注力するフェーズで、2年目は次のステップとして特にZ世代に対する施策、統合プランニングをすることが望まれたのです」
電通在籍時代はクリエーティブディレクター、同時にマーケッターとして多くの大手クライアントを担当しターゲットのインサイト分析に精通している石原さん。今回の課題を受けて電通チームとともにZ世代の調査・分析をさらに詳細に行い、彼らの行動や考えをじっくりあぶりだすことから動き出した。
「調査をして分かったのは。確かに食に対する意識が高く、行動を起こしている若者もいるのですが、それほど関心が高くない人もいる。おなかがすいたらグミでも食べればいい、とかいうような感じです。でも国民運動というからには、幅広いZ世代に気づいてもらわなきゃいけないとチームで話しました。」
この方針に沿って彼らにどうアプローチをしていくべきなのかと議論が始まった。Z世代と一括りに言っても多種多様。しかもそもそも食に興味関心すらない人々にいったい何をどう伝えていけばいいのか。
霧の中で星の方角を見定めるかのごとく模索が始まった。延々とディスカッションが繰り返される中で、ある時ついに一つの解を見つけるのだ。
マジックメニュー・カレー
それは、カレーだった。
「カレーは日本人なら誰もが食べていて身近でとっつきやすく、当たり前のような食べ物。日本の食の成りたちを伝えるのなら、こういったメニューをテーマにして入ったほうが人々に理解してもらえるのではないかと思ったのです。使う具材にしても肉、野菜、香辛料。輸入物もあれば、国産もある。たとえばライスは食料自給率の高いお米を使うことが多く、ナンは輸入が多い小麦でできている。カレーはいわば日本の食料事情を抱え込んだ、マジックメニューなんですよ」
食のあり方を啓蒙する国民運動には、これまた国民食であるカレーでということなのだろうか。これなら関心の薄い人にも考えるきっかけを与えやすいと、企画のコアをついに導き出すことができたのだ。ちなみにそのアイデアを思い付いたのはコロナ禍、スタッフとカラオケボックスで缶詰めになって打合わせをしていた時のことだったそうで、
「もちろんいろんな方向性の企画もその場で出し合っていたのですが、カレーを思いついた後はホッとして気持ちよくみんなで歌ってしまいました」
と笑いながら話してくれた。
このアイデアを起点にプロジェクトは改めて大きく舵を切っていくこととなる。
カレーの周りに集う
まずはこちらの動画をご覧いただきたい。
「カレーから日本を考える。」と題し制作された2分弱のイメージビデオである。カレーをテーマに現状の日本の食料の課題がカジュアルにわかりやすく提示されている。
この動画を運動の根底におきながら、農林水産省、電通、ニューホライズンコレクティブメンバーのチームは、「推進パートナー」と呼ばれるプロジェクトに共同参加する企業を募り始める。
通常広告会社などが手掛けるこういったキャンペーンでは「純粋な広告出稿」「メディアとのタイアップ」「他企業・団体との連携」を同レベルで推進することになるが、国民運動という名を打つこのプロジェクトでは特に「企業・団体との連携」に力を注いだという。「○○も、ニッポンフードシフト」という雛形を作成し○○に様々な企業が名を連ねるという仕組みだ。
本年度は良品計画、日本航空などの企業が活動に参加し、カレーを題材に日本の食をそれぞれの業態の課題として昇華しながらコンテンツ化している。
各社のコンテンツ制作についてもZ世代を意識しながら、石原さんをはじめプロジェクトチームが積極的に企画参与するのだという。ラップバトルがあり、お笑いがあり、行き先不明の弾丸フライトツアーがあり、若者が見ても我がコトとして自然に感じられる、そして楽しくなるコンテンツたち。。。。運動は企業・団体を超えて横断的に設計、活性化されているのだ。(参照:ニッポンフードシフトホームページ)カレーに関するものに限らずHPに格納されたこれまでの施策の数々、、。その充実ぶりはまさに国が旗を振って推進してきた国民運動の名にふさわしいものだ。いったいそもそもニッポンフードシフトの源泉はどのように世に湧き出したのだろう。
今回筆者は、推進主体である農林水産省のプロジェクトリーダーの方にお話を伺う幸運に恵まれた。
官民共同、Z世代
小峰賢哉参事官は農水省をはじめ政府内部署で2006年以降長く広報系の作業にあたられていた。そもそも官僚でそのように同じ系統の業務を継続担務することは珍しいそうで、
「広報室や、広報と名がつかなくても実質広報の作業を合わせれば、10年以上でしょうか。普通はやっても2年。一生のうち一回やるかやらないかなのですが」
と笑いながら、でもしっかりとこちらの目を見てご経歴を語ってくれる。
これまで農水省のCIや広報誌、パンフレット、ウエブサイトの開発などに携わりつつ、そのころからお堅い政府系の記事を消費者目線の内容に書き換えることに注力されていたそうだ。
―そもそもニッポンフードシフトの活動はどのように省内で生まれたのでしょうか?
小峰参事官「もともと12年ほど前に日本の食料自給率の問題を一般の方にも理解してもらおうという‘フードアクションニッポン’という運動がありました。これが前身の事業。今回は食卓と農業との距離がどんどん遠くなっているという社会的な背景を受けて、令和2年の最新の農水省の中期計画の中に、そのような状況に歯止めをかけるために国民運動として理解醸成を図る、ということが謳われていたのです。それも官民共同で、と」
―それがニッポンフードシフトの始まり?
小峰参事官「はい。官民共同で国民運動を展開する、とだけ書かれていました。テーマがより広くなって何からどう手を付けたら良いのか悩みスローガンやロゴ、コンセプトなどを検討し始めました。国民運動といっても、一般の方に何かを強いるのは難しい。それにあまり自給率とか国産とか言うと民間企業の方はやりづらくなってしまう。もともと日本の自給率は38%なので全部国産で賄うのは難しいのです。さらにその当時の事務方のトップからZ世代を対象にすべき、と追加オーダーが入ったのです」
―そこでZ世代が出てきたのですね?
小峰参事官「そう、官民共同であることと‘Z世代’という縛りがかかった。うちにもZ世代はいますがこういう国民運動から最も不向きな人たち、我々が広報で発信したところでむしろ疑って反応しないような人たちです(笑)」
そのような経緯を経て、石原さんがチームに参画したわけである。(後編へ続く)